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「自立の対義語は、依存ではなく、孤立だ」|KNOCKをつくった理由
どうも、小林です。
私は、20年前に脳梗塞で倒れてから理学療法士となりました。
今日は、KNOCK(ノック)というサービスをなぜつくったのか、という話をさせてください。
昔の僕は、「一人でできること」を100点だと思っていた
理学療法士になりたてのころ、僕が追いかけていたのは、こういうことでした。
いかに介助の量を減らすか。
いかに一人で歩けるようにするか。
誰の力も借りずにできるようになることが、リハビリの100点満点のゴールだと、本気で信じていたんですよね。
自分自身が当事者だったので、なおさらでした。倒れたあと、僕は妄執のようにボクシング復帰を目指してリハビリに取り組んでいました。一人でできることが増えることが、そのまま回復だと思っていたんです。
熊谷先生の言葉に、雷が落ちた
理学療法士として4年目くらいのときだったと思います。
東京大学の小児科医で、ご自身も脳性麻痺の当事者である熊谷晋一郎先生の言葉を知りました。
「自立とは、依存先を増やすことである」
雷に打たれたような衝撃が走りました。
考えてみれば、僕たちは普段からたくさんのものに頼って生きています。ひとつがだめでも、別のものに頼れる。だから身動きが取れる。それが自立なんだと。
そして、自立の対義語は、依存ではなく、孤立なんだと。
退院すると、依存先が一気に減る
ところが、病気や障害を持つと、なぜか急に「誰の力も借りずに、一人でできるようになること」が自立だと勘違いされてしまいます。
しかも実際には、その逆のことが起きています。
入院中は、毎日リハビリの時間があって、看護師さんがいて、同じ病棟に似た境遇の人がいます。頼れる先が、たくさんある状態です。
それが、退院した瞬間に、ほとんど一度になくなる。
依存先が極端に減らされてしまうからこそ、身動きが取れなくなり、孤立していくんです。
これは、本人の頑張りが足りないという話ではありません。
社会モデルだけでも、足りない
ついでに、正直な話をさせてください。
障害の「社会モデル」という考え方があります。障害はその人の身体だけにあるのではなく、社会の側にあるバリアが人を障害者にしてしまう、という考え方です。僕は、この考え方が好きです。
でも、それでも僕の右手は震えます。
腕立て伏せをすると震える。髪をかき上げるだけでも震える。娘とハイタッチをするときも震える。
段差が全部なくなっても、偏見がゼロになっても、たぶん震えます。
だから僕は、社会モデルはゴールじゃなくてスタートだと思っています。社会も変える。医療も進歩させる。リハビリも進化させる。その全部が必要で、そして本当は、その間に人がいます。
身体のつらさも本当。社会の生きづらさも本当。この二つは、矛盾しません。
それで、KNOCKをつくりました
だからKNOCKは、「一人でできるようにする」ためのサービスではありません。
依存先を増やすための、サービスです。
同じ経験をした人の話を読む。近くの当事者会やイベントや支援機関を探す。動画に出ている専門職に、画面ごしで相談してみる。「今日の一歩」みたいな、誰かに報告するほどでもない小さなことを記録しておく。
ひとつひとつは地味なのですが、どれも「頼れる先がひとつ増える」ということです。
殻の内側から外の音は聞こえるのに、どこを叩けばいいのかわからない。あの時間を短くしたくて、KNOCK(ノック)という名前にしました。
当事者と、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・看護師で、一緒につくっています。
いま、載せてくれる団体を探しています
そういうわけで、KNOCKはいま、掲載していただける団体さんを絶賛募集中です。
当事者会、家族会、患者会、サロン、支援機関、ピアサポートの集まり。規模は問いません。会員が三人でも大歓迎です。むしろ、そういう小さくてあたたかい会ほど、見つけてもらいにくいので。
ホームページがなくても大丈夫です。必要なのは、「うちはここにあります」という一行だけ。
その一行が、退院したばかりの誰かの、依存先のひとつになります。
そして、探しているほうの人へ
一人で歯を食いしばって歩く数メートルより、誰かに思いっきり体重を預けて挑むチャレンジのほうが、何百倍も豊かで、行きたい場所へ行ける力を持っている。
僕は、そう思っています。
KNOCKの登録は無料です。よかったら、一緒に新しい扉をノックしてください。